知人と桜見物がてら祇園に食事に出た。

向かったのは、やはり知人のSさんが女将さんとして活躍する割烹Aである。
日本料理の割烹ではあるが、メニューの中に「ふぐのカレー」というのがあって、初めて見た人は驚かされる。

「毎日外食する人は、たまにはカレーのようなものが食べたくなる」
という、女将さん一流の心配りではある。
これが和食の後でなかなか美味しいのである。
Sさんとは、以前、同じロータリークラブに入っていたが、私が忙しくなり、なかなか活動もできなくなったので、そこを退会し今はeClub NewYork1というインターネット上のバーチャルクラブに所属している。残念ながら、eClubはまだ日本にはない。

食事を終え、芸妓さんたちから祇園のお稲荷さんとして親しまれる辰巳神社の桜を見に行った。美味しいお料理を堪能し、いっぱい気分で見る桜はまた格別である。







思えば、岩畔豪雄に関する出版が縁で知り合った大阪のK社会長Oさんとこの桜を見たのがちょうど3年前である。

あれからいろいろなことがあった。

O会長の世話になり、それまで経営していた心電図コンピューター解析の会社にWeb系情報システム部門を立ち上げることもできた。医療の三本柱は、「技術」と「情報・コミュニケーション」、そして「心」だと思ったからである。 

そのO会長も今は亡い。
けれども、そのころO会長に紹介してもらった人たちには、今でも、いろいろと相談に乗っていただくことが多い。

今は亡い祖母の記憶の中のイワクロを追い求め、いろいろな出来事が私自身の人生に起こった。

通常では出会わなかったであろう陸軍中野学校の出身者にもお出会いすることができ。
校友会の集いにも参加し、ともに酒を酌み交わすことができた。
書籍を漁るだけでは得ることのできないお話もうかがった。

イワクロのことを出版してから、「もう続編はださないのですか」とよく聞かれる。
「そのうち出します」
とお答えはするものの、実際には、もう、イワクロに関してこれ以上書くつもりはない。

昔、出版したときには、一般の人たちの歴史認識を変えたいというような思いもあったが、今はもうない。

出版後、いろいろな人と出会い、出版前には知りようもなかった多くの事実を知ることもできたのだが、今更、それを書く気はない。

「秘密」は「秘密」としておくのが正しいのではないかと思うようになった。

歴史というもの、見る人によって姿形が異なるもので、どの姿が正しいとか、この形こそ真実であるというようなものではないと思う。
実際、中野学校出身者やイワクロ自身、多くの秘密を抱えたまま、あの世に旅立っている。

光の当たる部分、当たらない部分があればこそ、そこに陰影が生じ、歴史が決して平板なものではなく立体的なものであり、軽々に判断してはならないことを人々に教えるのではないだろうか。

賢しらに「これが『正しい歴史』である」と語るより、むしろ、今、生きている「歴史」のなかで自分なりではあれ正しい生き方をしたいと思うのである。

今を盛りと咲き誇りながらも、やがては散りゆく桜を見ながら、いろいろな人たちのことが思い出される一夜であった。