追悼記
重松正彦氏  
         岩畔豪雄 弔辞集「追想記」より

「国家の前途はどうでしようか」
「重松、俺の眼玉は黒いか」
「ハァ、勿論ですね」
「そうか、俺の眼の黒いうちは、日本は大丈夫だ。我々はこれから米.ソの間に綱渡りをするのだ」

これは終戦後間もなく与望をになつて帰任せられた、故将軍を陸軍省の一室へたずねた時の私との会話の一節である。
岩畔さんと接した人は誰でもそうであつたと思うが、その見解、判断に対する賛否は別として、それによつて不思議に元気づけられ、また自己の思索を進める手がかりを次々とあたえられるのが常ではなかつたろうか。

その明るく大きな心は人に信頼感をおこさせ、活気にみちた精神は連なる人々の心魂を躍動せしめずにはおかなかつた。機略縦横、状況を新しくする力、勿ちにして人を組織し、如何なる難局に面してもいつも前途に光明を見出して、方向と方策をあたえる能力。明治の建軍以来、我が陸軍が生んだ英才は多いが、その中にあって第一級に属する雄偉の大才を語ることは私の任ではないが、部下としてその片鱗は知得している。

この大才にあたえられた活動の場は余りにも狭く、その驥足を本来の面目以外にむけねばならなかつたことを、たとえそれが本人の意志であつたにせよ、私は深く残念に思うのである。それにしてもあの5Gj連隊長としての岩畔さんの指揮下に過した輝やかしい日々は今も強い思い出として充実し、実際は僅か五ケ月であるにかかわらず、永い年月を共にしたかの如く錯覚せられるのである。このことは私にとつて生涯の幸せであるが、これも故将軍の面目の一面を示すものであろう。