岩畔豪雄君の思い出
    星野直樹 氏
  元満州国国務院総務長官 
  元内閣書記官長(東條内閣) 
    元ダイヤモンド社会長


私が岩畔豪雄君に初めて会つたのは、昭和七年九月、満州奉天の関東軍司令部においでであつた。その時、私は満州国財政部総務司長を務めており、岩畔君は陸軍大尉で、関東軍のもつとも若い参謀として、もつぱら政治経済の仕事に携わつていた。

私は、生まれたばかりの満州国の財政制度を作り上げ、第一年度の予算編成に当たり、成立の上実行に移していたが、あたかもその時大きな嵐に襲われた。

それは新しく着任した関東軍の小磯参謀長から、「このたび関東軍は顧問として、外交界の長老で関税のことには殊に詳しい斎藤良衛博士を迎えた。そして満州国の関税制度につき、案を作つてもらつた。これを実現の方針で研究してくれ」という話があつたのである。ところがその案は、私たちの考えているものとはかなり違つている。かつ独立満州国の関税制度としては、必ずしも適当でないと考えたので、急ぎ代案を作り、新京を発つて直ちに奉天の軍司令部に小磯参謀長を訪ねた。その時、参謀長に代わつて私を迎えてくれたのが岩畔君なのであつた。

前述のごとく、その時の岩畔君は見るからに若い参謀大尉、この人を関東軍の代表者と考えてよいのかと、内心不安に思つたぐらいであつた。が、いざ話を始めてみると、実に明快である。完全に私のいうところを聞き、ところどころきびしい質問を投げかける。そして、何の先入観もなく、卒直にこちらの言うところに耳を傾ける。そして、「絶対賛成だ。何の心配もなく、この案で進んでくれ」と、実にはっきりと賛意を表してくれた。

あんまりはつきりしているので、参謀長に説明する必要はないのかと念を押すと、少しも心配は要らない、私からよく話しておく、直ちに実行に移してくれという返事で、私は思わず手を差し伸べて、どうも有難うといつて握手せずにはいられなかつた。

熱河攻戦の時は、岩畔君ら二人の参謀と共に軍用機に塔乗して、前線を視察してまわつたことがある。その時私は、

 大熱河 河原に立てるかげろうの あなたに浮ぶ 朝陽の城

という一首を詠んだ。
今この歌を読み返していると、私のまぶたには、胸に参謀肩章を吊つた岩畔君の、若々しい姿がはつきり現われてくる。若い日の、なつかしい思い出である。