開戦前夜の秘められた日米交渉
昭和16年春―。
破竹の進撃を続けるヒトラーはヨーロッパの地図を大きく塗り替え、天然の要害ドーバー海峡に辛うじて守られた英国の命運も、風前の灯火と見えていた。
世界の激動を目前に、日本の国内にも「バスに乗り遅れるな」と浮き足だった言動が充満していたその頃、ワシントンではこじれにこじれた日米関係を修復し太平洋に平和を維持せんものと、必死の工作が進められた。
しかし、その交渉の主役は、戦後の定説となった、軍部の横暴に憤りながら苦しい外交交渉を強いられた外務官僚ではなかった。
なぜか、大戦前夜の日米交渉という、あの戦争を語る上で最も重視されなければならないプロセスが、多くの人々にその詳細を知られぬまま現在に至っている。
もちろん全く語られなかったということではない。いく人かの専門家たちが研究の対象としてきたことに間違いはない。
しかし、戦後日本に生じた特異な社会環境は、長期間にわたり、固定観念をもってしか太平洋戦争を語ることを許さなかった、許さなかったと言う表現に語弊があるならば、あたかも許されないかのような空気がそこにあったというべきであろうか。
自由な論議は真綿にくるまれ、固定された偏狭な観念のもとで、駆け引きと思惑に満ちた言説が太平洋戦争を語り続けてきた。
昭和16年の春、ワシントンで繰り広げられた興味深い人間ドラマの重要性を考えるならば、それがこれまで日本人の多くに認知されてこなかったことの方が不思議な話である。日米交渉の実態は、何故、かくも人々の目に触れることがなかったのか?
そこには、人によって語られるしかその姿を次代に伝えることのできない「歴史」の宿痾(しゅくあ)とも言うべきものが横たわっているようである。
近衛日記に「日米交渉を阻害した」と記された外務官僚らは、戦後、占領軍治下、日本で政権枢要の地位につくと、開戦前夜の日米交渉を「呪われた交渉」と呼 び「成立する可能性など初めからなかった」と葬り去っただけでなく、「外交の素人」の手になる「下手な交渉」が戦争を誘発したと結論する者さえ出てきた。
古今東西、官僚というものは、間違いを指摘されないことを建前としてきたようだ。間違いを犯さぬよう努力するならそれで良い。
しかし、間違いがあっても認めない、或いは人に知らしめぬよう組織的に隠蔽しようとするなら本末転倒、百害有って一利なしと言わざるを得ない。
「好戦的なファシズム国家、日本を相手にして不可避な戦いであった」
「日米間に平和を維持するための交渉など無かった」
戦後アメリカが打ち出した、このような公式見解をもっけの幸いと、開戦前夜の日米交渉はとるに足らぬものと忘却の彼方に葬り去られてしまった。
「それは、あたかもウィーン条約のどこかに特別条項のくだりでもあって、『正史日米交渉』は日米双方外務官僚の手になる外交文書のみに依拠して書かれなけ れば『外交正史』にならないというが如きであった。―――占領下の日本においては、連合軍の主張が官製の見解となり、野村吉三郎ら関係者の証言は、個人的 な平和への努力という形で処理された」と、著書『日米戦争の岐路』の中で歴史学者の塩崎弘明氏も証言している通りである。
かくして、東京裁判史観は、住時の外相・松岡洋右の罪と血を引き継ぐ日本の戦後歴代政権にとっても国是となり、平和を望んだ日本の証である「日米交渉」 は、その実態だけでなくその存在さえも忘れ去られてしまった。人々の心に残ったのは、しゃにむに戦争への道を突き進んだ「愚かな日本人」の記憶だけとなっ た。
占領下の日本政府を、開戦に関してはまごうかたなき罪人であった旧外務官僚たちを中心に構成させたアメリカの思惑は、まさにツボを押えていたと言うべきであろう。
長いものには巻かれろということであろう。学者たちも官製の見解に追従した。松岡や外務官僚らの、国家の存続より省益を重視した行為は「些事」として処理 された。日米の和解はどの道成立しなかった、日本は破滅への道を突き進むしかない愚かな国であった、といった結論を多くの学者は導き出した。
しかし、学者の判断はどこまで信頼できるのだろうか?確率論を研究する数学者でもルーレットで一財産築くことができないのと同じで、「歴史学者」にも、国家の存亡を賭けた虚々実々の交渉の行方は予想できない。
エイズ薬害訴訟で、「当時としては最善の措置であった」と主張した学者、政府の言い分が、ことの成り行きが分かってくるにしたがって次第に説得力を失って いったことは、まだ記憶に新しい。学生でさえ認識できた危険を無視して暴走したのが「権威」であり「専門家」であったことを、忘れるわけにはいかないので ある。
専門家本来の役割とは、正しい判断に至るための材料を人々に提供し、真理に至る道を指し示すことであり、決して、「判断」や「決定」を独占することであってはならないと思う。
この物語は、一軍人の大戦前夜の行動を紹介することにより、、あの愚かな戦争がいかにして現実のものになってしまったかを明らかにするものである。
あの時点において、このような水面下のドラマチックな動きがあったことを知っていただきたい。