3.これがその主要内容
―国家観念―
当初、アメリカは条文中に、「日米両国政府は民主主義によって指導せらる」という一項目を入れることを主張した。
しかし、そんなものが入ったのでは日本が妥協できるわけがない。
「日米両国は、ペリーの来航以来仲良くやってきたが、国是も政体も違っていた。(しかし)国交に翳りが生じてきたのはほんのこの20年来のことである。そ れを思えば国交修復に日本の民主化が必要であるというような議論には根拠がないし、それをいうことは日本の主権の侵害でもある」
岩畔はそう反論し、アメリカにこの主張を放棄させることに成功した。
―英独戦争の調停と3国同盟―
アメリカは、交渉当初から、もし日本が、「日米は協力して欧州の和平を調停する」といった内容の条項を諒解案に入れようとするなら、交渉はその場で終結すると宣言していた。
アメリカ政府にとって、日本との妥協が対独戦に突入するための準備行動であることを考えるなら、それは、しごく当然な要求であった。戦いの準備をしているというのに、仲裁に入られたのでは何をしているのか分からない。
だいたい、欧州のほとんどをヒトラーが制圧している現時点で英独両国を調停するということは、ナチスドイツの新しい領土をすべて認めてしまえということにほかならない。
また、アメリカ首脳部には別の心配もあった。今頃になって調停という言葉が公けに出れば、アメリカ国内の厭戦思想に火がつきかねないことだった。
世論はまだ米国国民の血を流すヨーロッパへの参戦に消極的である。世論の暴走こそ、アメリカ政府首脳にとって最も怖いシナリオだった。
秘密裡に日本との交渉を進めている理由はそこにあった。
岩畔は、アメリカ首脳部の泣き所に触れない代わり、日本の抱える3国同盟にもそれなりの理解を示すことを要望した。
―自衛権の広義解釈―
「自衛権の広義解釈」という概念をアメリカは持ち出した。
当時、アメリカからはイギリスへの援助物資を満載した輸送船が多数就航していた。各船団には駆逐艦の護衛がついており、これをコンボイと呼んでいた。
もし、輸送船団がドイツ潜水艦に攻撃されれば、護衛の駆逐艦と潜水艦は戦闘状態に入り、それは米独戦争の開始ということになる。アメリカは、そうした戦闘を「自衛権の発動」とみなし、日本に中立を維持して欲しいというのである。
最初は、日中戦争と英独戦争を同時に調停して、世界の平和秩序を一気に回復するべきと考えていた岩畔だったが、アメリカ首脳部の対独参戦の意志が固いのを読みとってからは、アメリカの要求に譲歩する方向で動いた。
ともかく、日本だけでも戦争から遠ざけなければならなかった。
―中国問題の処理―
「神父工作」最大のポイントは中国問題と日米国交をリンクさせ、太平洋の平和維持に暗雲を投げかけている問題をひとまとめに解決しようというところにあった。
日中関係は既に当事者である2国間で収めるには複雑になりすぎていた。
国民党政府を相手に非公式に和平工作を進めてきた日本ではあったが、そうした試みは結局うまくはいかなかった。国民党の政治家にとって、日本と和平工作を進めること自体が大きなリスクとなっていた。
中国で「漢奸」と誹られることは、戦時中の日本で「非国民」と言われることとほとんど同じであった。自分の彫像に小便をかけられるのは誰だってごめんこうむりたい。
当初、独自に政府を建てるか、あるいは蒋介石との和議を仲介するか、どちらでも日本に協力すると言ってきた汪兆銘だったが、新たに政府を作らせた日本の決断は、傀儡政権としていたずらに中国人の反感を高揚させただけで、明らかに大きな間違いだった。
こうした、中国民心に対する日本軍の無理解だけでなく、徹底抗日を叫ぶ中国共産党の存在も日中間題がここまでこじれた原因として大きかった。
こじれにこじれた日中関係であったが、アメリカが間に立ち日米中の3ヵ国問題となれば事情は異なってくる。蒋介石軍に対して物心ともに莫大な援助を行って いるアメリカが間に立てば、蒋介石としても妥協せざるを得ないであろうし、民心を納得させることも可能である。共産勢力も口を挟むことはできない。
日本は泥沼から足を引き抜くことができるだけでなく、アメリカの潤沢な資本を当てにすることもできる。利益を得るのは日本だけではない。アメリカもアジア進出への立ち遅れを一挙に挽回できるし、中国国民党としても国内の産業整備を日米両国に期待することができる。
もちろん、そうなるために日米間で調整しなければならない懸案はたくさんあった。一番の問題は、既に中国大陸に進出している日本軍をどうするかであった。
「独立国中国の主権を侵害する駐兵は絶対に許容できない」
アメリカはあくまで原則を押しつけようとした。
岩畔は反論した。
「アメリカも北清事変後、現在に至るまで天津に駐兵している」
「天津からは近く撤兵する予定である」
「アメリカは独立国パナマにも駐兵しているではないか」
「あれは条約によって租借した土地であって、パナマの領土ではない」
「ならば、支那事変が調停されたあと、中国政府と交渉して共産勢力阻止のための防衛拠点として土地を租借し駐兵するがそれでもいいか」
岩畔は、巧みにアメリカの矛盾を突いた。アメリカも、決して他国のことは言えないことを分からせたかったのであろう。
そんな議論の果てに、岩畔はアメリカの本音が、「満州以外の中国領土の割譲、戦後の進駐など(中国の)独立国としての主権を侵害するような事項は認めがたい」ということであり、満州国に関してはまったく異議を差し挟むつもりがないことを読みとった。
アメリカは多少の妥協をしてでも日本との和睦を急いでいた。
「満州国さえ安堵されるなら、日本も妥協は可能である」
岩畔は希望のにおいを嗅ぎ取っていた。
―商船の貸与―
対英援助を続けるアメリカにとって、輸送力の整備は焦眉の急だった。もし、米独戦が開始すればもっと多くの輸送船が必要になる。アメリカは、日本の輸送船の借り上げを諒解案の一項目として要求した。
しかし、日本から借り出された船舶の就航海域に関して日本が条件をつけられないままだと困った問題が起こる。
仮に日本船舶が大西洋に就航させられた場合、ドイツ潜水艦の攻撃目標になり得るわけで、同盟国ドイツが交戦している海域に意識的に自国の船舶を就航させるということになる。
それでは、3国同盟の条約上の問題になり得ると考えた岩畔は、日本船舶に関してはその就航を太平洋に限定させる事を主張し、アメリカはそれを納得した。
―20億ドルの対日借款―
ウォーカーは、日米国交回復と同時に10億ドルから20億ドルの対日借款を行うようルーズベルトを説得した。
―資源―
岩畔は、石油、ゴム、錫、ニッケルなど日本にとって重要な資源品目を具体的に列記した。
具体的に列記しておかないと、駐日米国大使館のドウマンではないが、後になって綿花ならいくらでも売ると言われても困ってしまうからである。
―アメリカに人権尊重を要求―
日米関係悪化は、日本の大陸進出にその端緒があったのは間違いない事実だが、それだけではなく、アメリカの対日人種差別も決して無視できないものだった。
アメリカに於ける日系移民差別は、第一次大戦後、欧米に強いられるようにして参加したシベリア出兵で撤兵が遅いとして日本に対する国際的反発が強まるの と機を一にして過激なものへ変貌していった。その根底にあったのは、アジアで急激に勢力を増した黄色人種国家に対する漠然とした不安と、勤勉な日本人に職 を奪われるブルーカラーの反発であった。
日系人への差別が最もひどかったのが、日系移民の多かったカリフォルニアだった。
カリフォルニア排日協会が発足し、偏狭な排日主義のもと、日系人の借地権取り上げ、写真花嫁(※2)の渡米禁止、日本移民禁止の立法化、日本人の米国籍 への帰化の禁止、アメリカ国内で出生した日本人に市民権を与えないなど、これでもかとばかりのさまざまな人種差別政策がまかり通っていた。(※3)
同胞が異国で理不尽な人種差別を受けて面白い筈はない。友好的であった対米感情は次第に損なわれ、欧米諸国があげる日本の大陸政策に対する非難の声や干 渉がましい政策は、「日本の行動に対してではなく人種に向けられたものだという結論に行き着く」ことになった。(※4)
こうした遺恨に解決が与えられない限り、せっかく蒔いた平和の種も、枝葉を繁らすことはできない。それは、些細なことに見えて、実は、大事なことであった。岩畔は、この点をアメリカに主張し、日系アメリカ人に対する差別を撤廃するという条項を入れさせた。
―3国同盟離脱の勧誘―
「もし日本が3国同盟から離脱するならば、万一、日ソ戦争となった場合も米国は日本を援助する」
米国側から、思い切った提案が飛び出した。しかも、日米間の諒解事項として文書化しても良いというのである。この提案を出すに当たって、ドラウトはウォーカーのもとを訪れ、ルーズベルトの意向を打診してさえいる。ドラウト一人の提案ではなかった。
しかし、日本としても結んだばかりの3国同盟を反古にする事はできない。結局、この提案はそのまま流れたが、米国がこうした提案をしてきたということ は、独ソ開戦を2ヵ月後に控えたこの時期、米ソ間には後に成立する対ファシズムの同盟関係が全く存在していなかったことを示している。
このことから、アメリカにとってドイツの対ソ開戦は、その情報をある程度は掴んでいたとは言うものの、(※5)まだ半信半疑の状態だったと言っていい。