3.シナリオ
―申し分ない提案―
神父たちの呈示したシナリオはこうである。
日中戦争は既に泥沼化し、日本の陸軍も疲労困憊(こんぱい)している。日本が中国大陸から撤兵することを条件として、アメリカは日本と中国の和平交渉を斡旋しようというのである。
まず、日中両国の停戦を実現し、日米中3ヵ国間で包括的な取り決めを行い、日本軍は中国本土から撤収、以後の中国市場の開拓は日米共同してこれを行おうというのである。
もちろん、日本への資源輸出制限は即刻解除し、その上で対日借款を行い大陸開発のための資金まで用意しようというのである。不況に苦しむ日本にとって申し分ない話であった。
一方、欧州諸国と比べてアジア進出に出遅れていたアメリカにとっても、この話は十分にメリットがあった。
しかし、アメリカにはもっと重大な関心事があった。アメリカにとってもっとも肝心だったのは日米間の緊張緩和そのものだった。
ヨーロッパではナチスドイツが世界の盟主の座をうかがう勢いを示している。アメリカにとって、ヨーロッパをこのまま放置しておくことはできなかった。
この頃既に、対独参戦をある程度決意していたルーズベルトにとって唯一の気掛かりは日本だった。
日独伊3国同盟が存在する今、日米関係をこのままにして対独戦を開始すれば、アメリカは太平洋と大西洋の両方から挟撃されかねない。アメリカ指導部にはそれだけの危険を冒す覚悟はまだなかった。
相手がドイツ1国でも反戦運動が高まっているというのに、同時に日本をも相手にする両面作戦で国民の賛同が得られるなどとは誰も思っていなかったからである。
太平洋に脅威がある限り、ヨーロッパ救援には向かえない。
ルーズベルトにとって、太平洋に平和を確立することが焦眉の急だった。
他方、イギリスもアメリカ以上に太平洋の安定化を願っていた。日本の脅威が除かれない限り、アメリカがヨーロッパ戦線へ参入してくることは考えられなかった。
そのシナリオはとても聖職者が立案したとは思えないほど、各国の思惑を集約したよくできたものだった。井川ならずとも「これはいける」と考えたのではないだろうか。
井川は協力を約束し、今後の段取りを詳しく話し合った。神父たちも、日本の各界から得た印象で、自分たちのシナリオに十分な勝算があることを既に確信していた。両神父は一旦帰国。アメリカ大統領にシナリオを説明し、井川にその首尾を連絡することになった。
暮れも押しせまった12月28日、希望を鞄に詰めこんだ両神父は、来日の時と同じ新田丸で横浜を後にした。