3.加瀬俊一の岩畔批判
鹿島出版会の刊行する日本外交史第23巻にその名も『日米交渉』と言う書物が収録されている。著者は、自ら「交渉の全過程にタッチした」と書いている、松岡洋右の秘書官・加瀬俊一である。
まさに当事者によって書かれたという点で非常に興味深い書物ではあるが、既に序文で、「日米交渉は発端において呪われていた」という重光葵の言葉が引用されているように、野村や岩畔に対して全く否定的である。
近衛日記に、日米交渉を松岡ととも阻害した外務省メンバーとして、その名を記された氏としては当然の反応であろう。否定の根拠は先述した通りでそれ以上のものはない。
同書の中で松岡が3国同盟締結を推進した理由を、「そのまま放置していても何れ軍部が推進するであろうから、その前に自分が積極的に進めて外交の主導権を 握るのが目的であった」としているように、軍部の横暴にすべてを帰して松岡の弁解に努める一方、その英明ぶりを讃える記述が随分目立つ。
しかし、期せずして、当時の松岡らの心理を想像させる記述も見られるのが面白い。
訪欧から帰国した松岡が、「自分(松岡)の構想とは似ても似つかぬ」日米諒解案に「欣喜雀躍」する日本の首脳部に接した時の感想が、「いかにも不甲斐なく、とくにナチス領袖と比べて格段に見劣りした」という記述である。
どうやら、松岡のみならずそのスタッフたちも、諷爽としたヒトラーやナチス幹部に憧憬を感じて帰国したようである。これでは、ナチスに引きずられても仕方がない。
加瀬は、本書の中で、松岡がアメリカを刺激する南進よりもソ連を攻撃する北進を主張したことをもって、松岡の英明ぶりを主張しているが、実際は北進と言っ てもあくまでヒトラーに義理立てしてのソ連攻撃であった。それは、松岡が、ドイツではヒトラーに言われるまま、いとも簡単にシンガポール攻撃を約束したこ とをみても明らかである。
何れにしても、戦後の日本外交の旗手であった加瀬によって書かれたこの本が、「日米交渉」否定論に論理的な根拠を与えたことは間違いないようである。