イワクロ.com〜かくして日米は戦争に突入した〜

目次

  • HOME
  • まえがき
  • プロローグ
  • 第一章
    • 1.倉橋島から陸軍士官学校へ
    • 2.別名「ろうそく連隊」で奮戦
    • 3.青年将校時代
    • 4.二・二六事件と岩畔
    • 5.中野学校の設立に関与
    • 6.歪められた「戦陣訓」
    • 7.第一章・参考引用文献
  • 第二章
  • 第三章
  • 第四章
  • 第五章
  • あとがき
  • 参考文献
  • 著者プロフィール
  • ブログ

第一章「岩畔豪雄の登場」

7.第一章・参考引用文献

(※1)
『岩畔豪雄氏談話速記録』木戸日記研究会・編 日本近代史料研究会
(※2・4)
『科学時代から人間の時代へ』岩畔豪雄
理想社への寄稿文「この本を読む人のために」浅野祐吾より
(※3)
「旧帝国陸軍戦闘詳報」(防衛庁)
(※5)
役所というような意味で、陸軍省、参謀本部、教育総監部の三つ。それぞれの長官である陸軍大臣、参謀総長、教育総監を陸軍三長官と言った。
『事典 昭和戦前期の日本・・・制度と実態』百瀬孝 吉川弘文館
(※6・7)
『帝国陸軍の本質』三根生久大 講談社
(※8)
三月事件でクーデターに失敗した後、その活動方針に対する批判が出て、小桜会へと改組改称している。
(※9)
後に軍務局長となり、皇道派将校により暗殺される。統制派の首魁として有名。
(※10)
陸軍の参謀総長や海軍の軍令部長が、総司令官である天皇に対して、直接、軍の状況を報告することを帷幄上奏と呼ぶ。
軍事作戦に関する限り、陸軍の参謀総長や海軍の軍令部長と天皇の間には、陸海軍大臣は愚か首相でさえ容喙する余地はないということを意味している。
(※11)
『秘録 石原莞爾』横山臣平 芙蓉書房出版
(※12)
『太平洋戦争への道』角田順 朝日新聞社
(※13)
『ブラックチェンバー』H・O・ヤードレー 近現代史編纂会・編 荒地出版社
(※14)
『日米開戦外交の研究』須藤眞志 慶應通信
(※15)
『別冊歴史読本41 太平洋戦争情報戦』
新人物往来社より 「陸軍中野学校は何を教えていたのか」村尾国士
(※16)
産経新聞(東京版朝刊)一九九八年十一月八日
『紙上追体験あの戦争――「戦陣訓」神話の虚実』
 




 

ページトップへ戻る

第一章〔6〕へ  |  第二章へ


copyright © IWAKURO.COM All Rights Reserved.